要約
理学療法士の養成にあたるリハビリテーション学部の教員として、中村雅俊氏が掲げるビジョンは、一見、自身の職業を否定するようにも響く──「リハビリのいらない世界」。怪我や病気で失われた機能を「再び(re-)あるべき姿(habilis)に戻す」のがリハビリテーションの語源だとすれば、戻すべき何かを失わずに済む世界をつくることこそ、究極のゴールである。中村氏はその目標に向けて、ストレッチング研究では近年の論文数で世界一と報告され、「3秒下ろすだけで筋力が上がる」という研究成果を2022年に発表してニューヨーク・タイムズに取り上げられた。
しかし、それらの成果すべての出発点にあるのは、31歳のときに渡ったオーストラリアでの3ヶ月の留学である。受け入れ先のトップ研究者から「世界をどう変えたいのか」と問われ、答えに詰まった。ビーチでコーヒーを片手に自問した数日が、研究者・中村雅俊の視座を一段引き上げた。論文数、メディア出演、社会実装の取り組みも、すべては、この問いの延長線にある。
萌芽「リハビリのある世界で」
中村氏が現在、主に教えるのは、理学療法士の資格取得を目指す学部生たちだ。国家試験を終えた学生たちの悲喜こもごもを見届けたばかりだというその研究室*で、中村氏は穏やかに、しかし揺るがぬビジョンを語る。
「我々、リハビリテーション研究者が今こう目指しているビジョンとしては、リハビリがいらない世界を作りたいなと思っていて。矛盾するんですよね。」
「リハビリ」の語源は、「再び(re-)あるべき姿(habilis)に戻す」にある。戻すべき何かを失わなければ、リハビリそのものが必要なくなる。だから中村氏が向き合っているのは、人が病院に行かなくていい未来をどう設計するかという問いだ。
その問いの上に、中村氏は二つの研究の柱を立てている。ひとつはストレッチング研究、もうひとつは筋力トレーニング研究。両者の根底には、共通する一語がある。
「根本にあるのは、楽にできたらいいなとか、自分でできたらいいなっていう。特別な人じゃないとできないってなると困るので、簡単にできて、楽にできてとか、そういうことができればなと思ってて。それをみんながやれれば、結果、病院に行かなくていいじゃんっていう、そういう未来を目指して研究を進めています。」
ストレッチ研究で中村氏が続けてきたのは、世間に流布する「常識」と、人体で実際に起きていることのギャップを埋める作業だ。ストレッチで自律神経はリラックスしないし、疲労も取れない。「準備体操にストレッチをしてはいけない」という説は、「30分間ひとつの筋肉をずっと伸ばし続けると足の力が落ちる」という研究結果が独り歩きしただけだ──そうした実証を、人体での測定(筋電図による活動電位の測定や、超音波画像診断装置による筋肉の伸縮の可視化)で、淡々と積み重ねてきた。
筋力トレーニング研究の方向性は、もっと潔い。
「筋トレって、例えばダンベル持ち上げて下ろすっていう、2つのアクションで筋トレって成り立つはずなんですね。筋トレで効果があるのって、上げる方じゃなくて、下ろす方なんですよ。」
ならば、下ろすだけでいい。3秒で、1日1回で、筋力は上がるか。このシンプルな問いの上に、中村氏は2022年に論文を発表した。
「いかに筋トレの時間を短くするかっていう研究が、僕らのテーマなんです。」
*インタビュー実施は2026年2月末
軌跡「実社会より遅れる研究領域へ」
中村氏のキャリアの出発点は、2008年か2009年、理学療法士の資格を取得した時点に遡る。当時、ストレッチによって人間の筋肉が柔らかくなるという事実が、ようやく論文として証明され始めた頃だった。
「そんなことが20年弱前にやっと証明されたのっていうぐらい、科学のほうが遅れてて。現場に追いつくように、追いつくように、1個ずつ取り組んでいきました。」
進学した京都大学の大学院では、ストレッチ研究は研究室のメインテーマではなかった。サブとして、誰もやっていない領域を一人で掘り進める。それは「戦略」だった、と中村氏は静かに言う。
「自分の取り組んでる分野って確かにプライド持ってやってるんですけど、自分よりもすごい人たちが近場にたくさんいたら勝てないんですよ。だから、そうじゃないところをやっていかなくちゃいけないなっていうのは、なんとなく思っていて。」
サブだったテーマに、興味を持った後輩が合流し、グループが生まれ、論文の実績が積み上がっていった。同志社大学の助教を経て、新潟医療福祉大学へ。そうして現在までに、カナダ、ドイツ、ブラジル、オーストリア、オーストラリア、スロバキアなど世界中の仲間たちと共同研究を進めている。気づけば中村氏は、ストレッチ研究において世界で最も論文を出す研究者になり、ストレッチに関する国際的なワーキンググループに、アジアからただ一人選ばれていた。21人の著者が並ぶ国際共著論文が、その成果のひとつだ。
逡巡「世界をどう変えたいのか」
ここまでのキャリアを振り返って、中村氏自身は、自分は大きく迷ったことがあまりない、運が良かった、と話す。理学療法士の資格取得から京都大学の大学院、同志社大学、新潟医療福祉大学へと、目の前の研究と論文に一つひとつ向き合ってきた結果として、道は自然と展開していった。
「ずっと、やっぱ論文を書くことが大学院の、いわゆる博士号を取るには必要なので。書かないかんので。」
論文は出る。実績は着実に積み上がっていく。中村氏自身、そのなかで立ち止まって悩んだ覚えはなかった。
その認識を揺さぶったのが、31歳のときに訪れた、3ヶ月のオーストラリア留学だった。新潟医療福祉大学に短期の海外留学プログラムが用意されていたのだ。「いけるかどうか分からないけど」──手を挙げ、オーストラリアへ渡る。受け入れ先は、スポーツサイエンスの世界トップ20に名を連ねるエディスコーワン大学。指導してくれたのは、毎年「世界に影響力のあるトップ研究者」のランキングに名を連ね続けている研究者だった。
そのトップ研究者は、中村氏に最初の面談でこう問うた。
「中村先生は、世界をどう変えたくて、今そのどの段階の研究をやってますか。」
答えられなかった。
「適当なことはペラペラ喋れるたちだと思ってたんですけど、その時だけは、本当に答えられなくて。」
「先生、ちょっとだけ時間ください」と頭を下げ、答えを出す猶予をもらった。そして、オーストラリアのビーチに、コーヒーを片手に座り込んだ。
「今までちっちゃく、こう、目の前のことで一杯一杯でやったんですよね、多分。だから論文になるネタは何かとか、AとAはやっててBはやっててCはやってないからCはやりましたみたいな順番での研究、これ全く問題ないんですよ、研究として。だけど、そこから行き着く先ってどうなんだろうって。」
思い返せば、学会発表のスタンスにもその違和感は滲んでいた。
「学会発表とか何かする時もミスのないようにっていう、なんかこう何も突っ込まれないようにって。完璧な理論武装しなくちゃと思って発表してた時期もありました。」
「世界をどう変えたいか」。その問いを受けて初めて、自分が迷いの渦中にいたことを自覚した。
決断「リハビリのいらない世界へ」
ビーチで自問した時間が、中村氏の研究者人生の解像度を変えた。視座を、もう一段引いて俯瞰する。論文の足し算ではなく、その先に何を成すのかから逆算する。中村氏が今この瞬間に手を動かしている理由を、世界を変える物語のなかにきちんと位置づける──そのスタンスを、ここで決めた。
その先に行き着いたのが、「リハビリのいらない世界を目指す」という、いまの中村氏のすべてを束ねている言葉だった。
「リハビリテーションの教員をやってて、言っていいのかわからないんですけど。」
そう笑いつつも、中村氏の言葉には覚悟がある。自分の研究を、世界を変える物語のなかにどう位置づけるかという軸。一度この軸を置いてしまえば、ストレッチング研究も、3秒で終わる筋トレ研究も、現在注力しているという”地域での実装(コラム)”も、すべてが同じ一本の線の上に並びはじめる。
オーストラリアでの3ヶ月は、中村氏にもうひとつ、大切な贈り物を遺した。現地で出会った海外の研究者たちが、研究をとても楽しそうに語る姿である。
「ブラジル人とかポルトガル人とか、昼間っから酒飲みながら研究の話してて。」
受け入れ先の指導教員自身も、研究の話をしている時がいちばん楽しそうだった、と中村氏は振り返る。ミスのない理論武装ではなく、丸い石を見つけた小さな子が「見て見て、これすごい丸いでしょ、かっこいいでしょ」と差し出すような、嬉しそうな顔で発表する──それが、いちばん人を惹きつける。中村氏が学会や講演で取るスタンスは、ここから明確に変わった。
「とりあえず楽しそうですねって、よく言われるようになりました。」
コラム 「3秒スクワットと、ニューヨーク・タイムズ」
「リハビリのいらない世界」というビジョンの下で、中村氏の研究は社会実装の方向へと次々に舵を切っていった。
「3秒下ろすだけで筋力が上がる」──2022年、中村氏が論文として発表した知見は、想定外の形で世界に届いた。
「論文出した次の日に、共同通信さんのニューヨーク支社からメールが来て。同時期にニューヨークタイムズさんからも連絡いただいて。多分僕はなんとか詐欺だと思って無視しようかなと思ったんですけど、ちょっと文面読んでみると、なんかちゃんと論文読んでるっぽかったので。」
ニューヨーク・タイムズに取り上げられたことを契機に、テレビ番組への出演依頼も続いた。林修氏のテレビ朝日『今でしょ!』のスペシャル回には、わざわざ佐賀まで取材に来てもらい、TBS系『サタデープラス』ではカズレーザー氏と柴田氏にストレッチを指導した。YouTubeの『PIVOT』チャンネルに出演した動画は、100万回再生を超えている。
しかし、中村氏が真に手応えを感じているのは、メディア露出そのものではない。マシンが要らない場所、専門家が常駐していない場所で、誰もが自分の体ひとつで筋力を保てる仕組みづくりだ。
「機械でやるんだったら3秒全力で下ろせばいいやっていうのが分かったんですけど、実際に高齢者とか働いてる人たちだと、そんなマシンがあるわけじゃないので、自分の体重だけで何とかならんかなっていうのも考えてて。」
たどり着いたのが、スクワットを「立つのは適当でいいから、座るのを丁寧にやる」というアプローチだった。中村氏は太良町という佐賀の中でも田舎町と協力して指導者ライセンスを発行する仕組みを立ち上げ、70歳前後の地域のおばあちゃんたちが、70〜80代の高齢者に運動指導をする──そんな1年間のプログラムを回した。実際に、被指導者の筋力は上がっていく。
その先に見据えるのは、医療費の低減と、高齢者一人ひとりの「ハッピー」だ。
「100歳でも自分で歩けるような。歩いて、好きなところに行って、好きな人と喋って、好きなもん食べて、3日ぐらい入院して最後を迎えるのもいいかなって。」
「リハビリのいらない世界」は、空想ではない。中村氏にとって、いま静かに実装されつつある未来だ。
結語
中村氏の研究室では、いわゆる「指導」をほとんどしないという。論文を書けと言ったこともない。それでも、修士課程の2年間で英語論文を10本書く学生が育つ。修士修了時に「先生、すみません、頑張りが足りなくて5本しか書けませんでした」と言って卒業していった学生もいた。
「いや、5本書けたらすごくね?て。感覚おかしいやろって。」
論文を書くようになる秘訣を尋ねると、学生たちは異口同音に「先生がやってるからやるもんじゃないですか」と答えるのだという。
そんな背中で語る中村氏が、学生に伝えていることはひとつだ。
「自分が楽しいと思うことをやらないと、人は絶対楽しいと思わないですよね。その結果がポジティブだろうがネガティブだろうが、自分がが楽しいと思ってれば、それは伝わる。だから、楽しそうに話せばいい。」
進路に迷った学生には、こう投げかける。
「よく『茨の道』と『楽そうな道』があったら『茨の道を行きなさい』みたいなこと言われたりしますけど、いや、楽しそうな道を選びなさいって。」
楽な道、ではない。楽しい道だ。
「楽じゃないんですよ、楽しいっていう。だから軸がちょっと違うんですよ。苦労もあると思いますし、でも、自分で選んで楽しいなと思えば楽しいんじゃないっていう。」
中村氏自身、仕事と趣味の境界が「溶けてなくなっている」という。研究も筋トレも、学生との日々も、地続きの「楽しい」のなかにある。「世界をどう変えたいか」——あの日のビーチでの自問自答が、今この道をつくっている。